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2007年10月05日

その10【俺と悪魔とクロスロードブルース】


その昔、アメリカは ミシシッピー州南部、クラークスデイルって田舎町の、乾いた土埃が舞う とある十字路…

『国道49号線と67号線の十字路で 悪魔に魂をやり、その引き換えに ギター・テクニックを授かった…』

…奴隷として、アメリカに連れて来られた 西アフリカ系の黒人達…彼らには 独自の『宗教観』があり、十字路には『特別な力が潜む』と 言い伝えられてきた。

その十字路で 悪魔と契約をし、Bluesを 手に入れた 男がいる…。

Blues の歴史を辿るうえで 必ずと言ってもいいくらい、避けては通れない お話し…、1人のブルースマンの伝説です。

1911年 ミシシッピー州南部『ヘーゼルハースト』と言う 田舎町に 後々のミュージシャンに 多大な影響を与える 1人の男が生まれた。

男の名は『ロバート・ジョンソン』俺の大好きな Blues manだ。

母『ジュリア・ドッズ』

父『ノア・ジョンソン』…

ふと見れば、苗字が違う…!?

実は、母親(ジュリア)の本当の夫は 『チャールズ・ドッズ・ジュニア』と言う農夫… そう、ロバート・ジョンソンは『非嫡出子(婚姻関係にない男女の間に 生まれた子供)』でした…。

チャールズには、正妻(ジュリア)の他に 妾(要するに愛人)と子供がいて ジュリアとの子供を合わせると、計7人の子供がいた大家族だったそうな…。

その後 チャールズは 個人的な恨みにより ヘーゼルハーストの地を追われ、愛人と その子供、そして、ジュリアとの子供のうち 3人を連れて メンフィスで 離れて生活…。

ヘーゼルハーストの地に残った 母(ジュリア)は メンフィスの夫と離れて暮らす中、情夫である ノア・ジョンソンと出逢い、関係をもった。

その後、ロバート・ジョンソン(当時3才)は 義父にあたる チャールズの元へ 母親と義理の姉と共に移り住み、義父の子供として 育てられるが、既に満員状態だった その家に居ずらくなった為か 母親は 自分の子供を置いて 別で生活することになる。

7才の頃 義父に対する反抗心からか、母親の住む『ロビンソンビル』と言う町へ 送り返され、母親と その新しい夫である 義理の父親(ウィリ・ウィリズ)によって その後 大人になるまで育てられる…。

その後『ロバート・ウィリズ』と名乗ることはなく その頃 初めて聞かされた 本当の父親『ジョンソン』の姓を 密かに語るようになった。

生まれつき 片目に障害(白内障)があり、それを理由に 学校を中退…。※ 当時は 貧困の為、栄養不足の子供(または、虐待により) 失明する子供が 少なくなかったらしい…。盲目のピアニスト『レイ・チャールズ』も その1人だろう…。

唯一、そんな彼を 慰めてくれるのは 音楽(ブルース)でした。

10代の頃、ブルースハープ(10穴ハーモニカ)を吹き 友達と唄を作っていた ロバート・ジョンソンは そのうち ギターに興味を持ち始め、当時 既に名の知れていた ブルースマン『チャーリー・パットン』や『サン・ハウス』らの『追っかけ』をし ギターの手ほどきを 受けようと『ジューク・ジョイント』などへ 彼らの演奏を 聞きに 夜な夜な こっそり家を抜け出していたそうですが、当時の ロバートのギターテクニックは 最悪だったらしい…。

※ちなみに『ジューク・ジョイント』とは (生演奏を聴かせる安酒場)で 後に 『リクエストすれば 何でも聴かせてくれる』 ジューク・ボックスの起源になった…って 説があります。

また、酒や音楽以外にも 賭博や売春行為も あったらしく、西アフリカの言葉による『ジューク』=『行ってはいけない 邪悪な場所』 と 言われたそうな…。

そんな場所で 演奏される ブルースが 当時『悪魔の音楽』と 言われたのも 分かる気がする。

ロバートが 18才の頃、2才年下の『バージニア』と結婚、翌年 初めての子を授かるが、出産時に妻が死亡、子供も死産した…。

あまりにも 打ちひしがれた ロバートは 益々、ブルースに のめり込んでゆき、実の父親探しを名目に 各地を放浪し、そこで 出逢ったブルースを吸収しては 森や墓地などで 人知れず ギターを練習していたらしい…。

半年〜1年にも満たない頃には、一度 聴いた音楽を そっくり真似る程の 一級並みのギターテクニックを身に付けた ロバートは、フラリと 町の『ジューク』に舞い戻り、その巧みなギターテクニックを 披露すると、誰もが それに驚いた。

ギター1本なのに まるで 2本に聴こえる…。 片手の指が 10本あるんじゃないか?(笑) っと思わせる程の 天才的なギター演奏…。

まさに『十字路で 悪魔と取引をして ギターテクニックを授かった』っと言う 伝説が生まれても おかしくない 上達ぶりだったそうだ…。

噂も手伝い、一躍 有名人になった ロバートは アメリカ各地に出向き 演奏をし、ブルース奏者として 敬意を払われ その名を 更に広めた。

生涯 残した楽曲は わずか 29曲(別テイクを含めると 全41曲) たった5日間で レコーディングをした。

内気な彼は レコーディングの際 部屋の壁に向かって録音をした。 でも それは 音を壁に反響させる為と 自分の演奏技法を 盗まれないようにしていたらしく、実際 演奏中 ミュージシャン志望の客や 手元を観察する客がいたら、途中で演奏を止め、店を出て 数ヶ月 姿を現さなかった。

また、ロバートは 人気と共に、酒と博打、女癖の悪さにも 名が知れ渡る。

1938年 酒場の店の女房に 手を出したことが知れ渡り、激怒した亭主に 神経性の毒入りの酒を 飲まされ この世を去った…。享年27才。

最後の夜 ロバートと一緒に店にいた 仲間が 店内のただならぬ 雰囲気に気づき、一度は 毒入りの酒を ロバートの手から 叩き落とすが、ロバートに 叱咤され 2杯目は ただ 見守るだけ。
その後 演奏中に 毒が廻り 突然 店を飛び出し 苦しみ のたうち回る…数週間 持ちこたえたが、肺炎を併発し もがき苦しみながら 死んでいった。

死後 彼の話しに 尾ひれがつき 十字路での『悪魔との契約』の噂が流され、半世紀を経た今も尚、数多くの ブルースや ロック・ミュージシャンらから 熱い支持を受けている。

長い月日が経ち、その『ロバート・ジョンソン』の唄を 自分なりのブルースで、俺も唄ってる。

最大限の敬意を払って…。





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